分析と妄想

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タロット知識と読書と生活改善みたいな

緑の染料で髪を染めて思うこと

「葉桜の季節に君を想うということ」みたいなタイトルになった。
三時間くらい想定してたが二時間程度で終わった、よかったよかった。 

 

今回は初めてグリーン系のカラーを使っての茶色にしてみたらなかなか思い通りの茶色になった。いつもブラウン系カラーのみだったのでどうにも黄色っぽく、あるいは赤っぽくなるため補色のグリーンを使ってみたかんじ。RGBと同じ。緑になると困るなーと思っていたものの全くそんなことはなく、白髪が緑に染まってたりしないか期待してみたもののそれも特に見当たらない…

 

私は超剛毛、ストレート、多毛の民で、二十代のころはカラーリングもパーマもほとんどできなかった。「今ストレートパーマかけられてます?あ、かけてないんですね」からの、パーマは七千円かけても言われてみればうねってる程度→二週間で完全ストレート、カラーリングは物陰で美容師同士が「金色になるレベルの薬剤を使ってるのに全く染まらない」と会話しているのが聞こえてくるレベル、ブローは無言で左右にスタンバイされるレべル。

 

しかしデジタルパーマが出始めたあたりからこの鋼のような髪も各種薬剤が効き始めてきた。デジタルパーマってなにがデジタルなんだというとまあ熱管理を機械を使っているだけらしくてデジタルかそれ?と思うが、まあ命名はどうでもよい。

とりあえずデジタルパーマだと私の髪にもパーマがかかるようになったし、そのころあたりからカラーリングもわりと色が入るようになってきた。どの業界も進歩している。

 

技術と薬剤の進歩について同年代か少し上くらいの女性とシャンプーをしながら語っていたところ、「赤みを消したいとか昔はできませんでしたしねえ」という言葉があった。なかったのか。

そういえば昔は紫や緑の髪のおばあちゃんがそこそこいた。そういうニュアンスの黒、でなく、総白髪を初代アラレちゃんのような、ラムちゃんのような色にする老婆。最近見なくなった。

あの紫や緑は美容師が奨めていたのだという。日本人の白髪は黄色がかっているから、そのまま茶色にそめるとマットすぎる状態になってしまう。補色の紫や緑で染めることでツヤを出していたとか。

しかし最近のおばあちゃんたちであの色にしている人はほとんど見ない、おそらく薬剤が進化してきれいな栗色にできるようになったのだろう。

 

茶髪といえばヤンキー、不良のものだった文化が昭和には存在していたのだけど、あれも薬剤があまりよくないからだったような気がする。私は今回グリーンをメインとした薬剤できれいなビターチョコ色にしてもらったわけだけど、昔の薬剤は髪を痛めて色を抜くだけで、髪の健康はもちろん美しさもなかった。それでもなぜ昭和の不良が茶色や金色にしたかといえば、「自分たちは真面目な存在ではない」というアンチテーゼの意思表示としてであった。黒でないことが重要で、きれいな色にしたいからではなかった、と思う。ソバージュ(という言葉は平成でも使うのだろうか)、リーゼントは、かっこいいからではなく規律ある黒髪ストレートとは真逆の存在である、自分たちはそういうものである、という示威行動だったと思われる。アウトローに見えることが重要で、彼らの「かっこよさ」は純粋なそれでなく「傾奇者」としてのかっこよさ。枠の外にあればあるほどよいというやつ。だからビールかえて頭の色ぬくとかも、その行動もあわせてもてはやされたのだろう。

 

時代は下って、2018年において茶髪程度は不良でも輪をはずれた存在でもなんでもないし(制服があるような学校ではそうでもないか)、微妙な色合いを発注できるようになったし、自分の思う理想のために髪色を選べるようになったし、技術の発展は選択肢が増えて少しずつ呼吸のしやすい時代になっている、んじゃないだろうか、たぶん。

そうして少しずつ楽になる過程で今まで気づかれていなかった苦しさのもとが掘り起こされたりしているけれど、よくなっていることもあるのだと思っていきたいものだ。