先日、喫茶店で「孤独のグルメ」新装版を初めて読んだ。
なるほどこれが原作の井之頭五郎…ネットミームでの存在、「ゆっくり妖夢の本当は怖いクトゥルフ神話」でのキャラクターしか知らなかったな…こういう人なのか…と思いつつ読んだ。
自由な小金持ち、村上春樹の世界の住人の男だった。
自由人でありながら金に困らない男が適当な店で昼食なり夕食なりを食す、倦怠感と浪費の一幕。食事は暇つぶし。一杯三千円のコーヒーなども彼にとっては「高いな」と思いはすれど一か月もすれば忘れるような、弁当とか絶対作らないような、そういうかんじ。独身男性だとあんなものだろうか。
で、まあ「ハンチョウ」主人公である大槻班長とは一食にかける楽しみ方がまるで違うな、と思ったのである。
ハンチョウ、は、賭博黙示録カイジのスピンオフ作品である。
作中、主人公カイジはいろいろあって地下の強制労働施設に落とされる。いわゆるタコ部屋の地下版、債権の主である帝愛グループが構築する対核ミサイル地下シェルターを完成させるために、劣悪な環境での土木作業に従事することになる。
本スピンオフの主人公、大槻班長とカイジはそこで出会う。
地下では労働の対価が日本円ではなくペリカと呼ばれる独自通貨で支払われる。ファミ通のガバスと同じである。
大槻班長は、このガバス、じゃなかった、ペリカ、で、班長として労働者にビールや焼き鳥を販売している。
それだけでなく、ペリカを使ったチンチロ賭場も主催している。
大槻班長は、地下に落ちるような駄目人間の心理を巧みについてはビールや焼き鳥に浪費させ、賭場ではイカサマも行いペリカで私腹を肥やしては、ペリカで購入できる高額商品、Tボーンステーキや1日外出券を買いあさっているのだ。
カイジ本編では、主人公のカイジがこの大槻班長を知略で見事に成敗する。
本スピンオフについては、この、大槻班長が主役だ。カイジ登場前、1日外出を謳歌していた時間軸となる。
この、1日外出で大槻がどのように過ごしているか?これを追う物語だ。
もともと名言揃いとされるカイジにおいて、大槻班長も名言をいくつか残している。
その端々から、大槻班長には高い分析力と独自の美学があること、欲望のコントロールを知っていることがうかがえる。
本編では悪役として成敗される運命にあった彼は、スピンオフにおいて、彼のその能力は高く発揮されている。
その分析力、コントロールを味わうことができるのが本スピンオフの魅力である。
班長の1日外出放流先は、大抵は都内のどこかをランダムに定められる。眠っている間にどこかの公園に放置される。目覚めてから24時間が経過すると、物陰からずっと監視していた帝愛従業員、通称黒服が現れて地下へと連れ戻されるのである。
24時間の過ごし方は当事者の裁量となる。
第1話は小手調べとでもいう展開である。
飲屋街、新橋に放流された大槻班長がどのようにその地で最大の満足感を得るのか?
1日外出の対象者のほとんどは酒、女、賭博と刹那的な欲望を浴びに向かい、時間がくればみっともなく泣きわめくという。
大槻は泣きわめかない。その1日の中で何をどうすれば最大限に満足感を得られるのかを知っている。
彼の分析、洞察、そして実行力、欲望のコントロール力がそれを可能とする。
大槻の手にかかれば有楽町の駅前も、錦糸町も、スーパー銭湯も、風邪をひきかけたときですらも最大限に楽しみ、満足を得ることができる。
彼の行為は凡人であっても再現が可能なものばかりだ。
それだけに、自分は日々こんなにぼんやりと過ごしていたのかと思い知らされる。
旅行を楽しむことができるのは計画力によるところが大きい。下調べなしの京都と歴史を理解していく京都には大きな違いがある。大人が楽しむには、戦略が必要。逆にいうなら、戦略があれば楽しめる。
OODAだ、と思い至った。
PDCAに替わると一部で言われているらしい概念だ。
PDCAについては聞いたことがある諸兄も多いだろう。とにかく回せと言われているあれだ。岡崎体育も歌っている。
計画して(Plan)、やって(Do)、結果を精査して(Check)、もう一度やってみる(Action)、というやつだ。
これに関するウェブページや書籍は多く、わたしも何度か試みたことはある。だが何故かあまり上手くいくと思えたことがなかった。
OODAという概念に出会い、その理由を理解した。
PDCAは「サイクルを回す」、それもできるだけ何度も、高速で、という方法である。とりあえず仮説たててちょっとやってみてここがだめだったから次はああしよう、みたいな。
仕事ではこれを取り入れろというが、実際、仕事でPDCAって使えるんだろうかと疑問だった。
たとえば営業でPDCAを回すといっても、クライアントA社はひとつしかない。失敗できないプレゼンで、「ちょっとプレゼンして、反応が悪かったら練り直して再度」なんてできるだろうか。できないだろう、初回で反応が芳しくなければ二度目はないと思っていいだろう。では適当なクライアントで方法論を試してその結果をフィードバックして本命に活かす?いやいやアポイントにこぎつけるだけでどれほどの門前払いをくらってると思ってるんだそんなんできるわけない。
制作や納品だって、「ちょっと渡して様子見て直す」は泥沼の入り口だ。できない。しかし「P」、Plan、仮説が間違っていたらどうにもならない。Doの時点でCheckするまえに道が断たれる。
一度きりしかないものにはPDCAは使えないんじゃないかと感じている。
たとえば「結婚式」にPDCAは適用できるだろうか?試しに訪問客の一部を招いて軽いパーティなどできるだろうか?しかもなんらかの失敗をすることを前提で。
たとえば「新しくつくるカレー屋」だとかにもできるだろうか?試しに出店予定地にキッチンカーでも出すだとか?資本があるところならできるかもしれないがあまり現実的にも思えない。
で、OODAである。米軍が取り入れているだのという枕詞で紹介されることが多い。正確にはD-OODAという?とかなんとか。
OODAとは、 Observe (観察)、Orient (状況判断、方向づけ)、 Decide(意思決定)、Act (行動)の頭文字。
行動前にPDCAでは「P」で済ませていたものを、観察し、状況判断し、方針やプランを決定し、それから行動する。これで1サイクルで、サイクルにいわゆる「反省」であるPDCAのCがない。実行前のプロセスを細かく区切って、おろそかにしないようになっている。
井之頭五郎はトライアンドエラーで、「失敗」しても「まあ次にアタリをひければいいな」程度のゆとりをもっている。
大槻班長は失敗できない。一食980円のランチだとしても、その外出チケットは地下労働者の血と汗、そしてそれを巻き上げた結晶なのだ。「次」なんてないのだ、基本的に。
「何たべたいか決まらんな」というとき、井之頭五郎は適当に目に入った店に入るし、大槻は時に大槻アイを発動し、時に脳内大槻サミットを開催して決してはずさないようにする。
PDCAは農耕民族のやりかた、OODAは狩猟民族のやりかたなのだという。なるほど、農耕であったら事前に考えてみても相手は自然なので考え続けていたら動けない。とりあえずやってみてから改善する、という方法になるだろう。
そして狩猟であれば次の獲物が出現するかわからない。事前にロジカルに状況を組み立てて一度きりのチャンスの成功率を上げる必要があるだろう。
ようは事前に考える、ということなのだけど、この「事前に考える」がなかなかむずかしい。考えたつもりでしかないというのは往々にあって、OODAはそれを具体的に示しているように思う。「考える」を「観察、判断、策定」の三つにわける。なるほどこれなら結婚式やカレー屋の出店もPDCAより成功率が高そうである。
同じ「知らない町で昼食を食べるところを探す」でも、井之頭五郎はPDCA型、大槻班長はOODA型ということだ。なるほど、大槻班長の目標達成の思考を追う快感は狩猟のそれに似ているかもしれない。
PDCAとOODAというのは昼食選びだけでなく、長期計画でも使えるものらしい。PDCAが得意なタイプとOODAが得意なタイプというのがあるのだけど、「計画にはPDCA」と思い込んでいるOODA型がそれを行うと瓦解率が高いのだとか。「とりあえずやってみる」がPDCAなのだが、それでうまくいかないことにふてくされてしまう。事前にじっくり観察して、仮説をたててからのぞむと、早くそのただしさを確かめたいあまりに加速しがちだとか。
逆もしかりで、PDCAに向いているタイプがOODAをやろうとするといつまでも考え込んでしまって動けないとか。「とりあえずやる、そしてあとから考える」方がいいタイプである。
おなじ「土地勘のない場所での外食」をメインとする漫画だが、主人公のタイプが真逆なことでまったく違う切り口を見せてくれる。孤独のグルメは作画担当の方がもう描かれないので新作は読めないだろうが、巻を増すごとにどんどんおもしろくなっていくハンチョウに今後も期待するものである。